講演概要:

 このデジタルカメラ全盛の時代に、かつての写真フィルムが生き残り、今なお発展を続ける分野があります。素粒子の飛跡を映し出す特殊なフィルム「原子核乾板」を用いて、天然に降り注ぐ素粒子の一種ミューオンをとらえ、従来の手法では困難だったピラミッドや火山などの大きな対象物を透視する「ミューオンラジオグラフィー」の分野です。これを可能にしている技術が“役に立たない”とも言われる素粒子研究のために開発されたものである事を、ご存じでしょうか? 今回は、原子核乾板技術の発展に力を尽くした丹羽 公雄氏をお招きします。
 素粒子検出器としての原子核乾板は、百年におよぶ歴史を持ちます。1947年、英国のパウエルらは自ら開発した原子核乾板で原子核を結びつける湯川中間子(パイ中間子)を発見し、ノーベル賞に輝きました。しかし、顕微鏡で行う複雑な観察作業が障害になってその活用は滞り、原子核乾板は欧米では衰退する事となりました。一方、日本では、丹生潔らが富士写真フィルム社製の原子核乳剤をプラスチック板の両面に薄塗りした原子核乾板を開発し、それを積層して素粒子反応を研究するECC装置を工夫して、1971年にX粒子(坂田昌一らの予言したチャーム粒子)を発見しました。
 丹生に師事した丹羽氏は1972年、顕微鏡観察という障害を克服するために、テレビカメラとコンピューターによる画像処理を併用した自動飛跡読取装置を考案しました。開発は画像処理の黎明期にスタートし、1985年、後進達の手によって実用化されました。こうした努力で作業能率が向上した結果、原子核乾板は研究の最前線に甦ったのです。その後も装置の改良は続けられ、大型化したECC装置と高速化した自動飛跡読取装置を駆使することで、丹羽氏らは世界で初めてタウニュートリノの検出をなしとげました。さらに、「出現するタウニュートリノを捉える出現法」でニュートリノ振動を捉えることにも成功しています。素粒子の一種であるニュートリノの性質を理解する上で、これらの実験的証拠は大変貴重なものとなっています。
 講演では、丹羽氏の研究成果が素粒子研究だけに留まらず、ミューオンラジオグラフィーやガンマ線天体探査などにも応用され、世界の原子核乾板のセンターとなるまでの歴史と現状を、様々な苦労話を交えながらご紹介いただきます。